まどどブログ

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2023.01.06(残359日) 退屈な人生と享年について

2023.01.06(残359日)

 

 

  • 大人の時間はつまらない

 人間は学生時代を終えた瞬間、死ぬべきである。私は以前そう述べたが、この考えは今でも変わらない。

 成人してからというもの、人生というものはとてもつまらないものになった。心躍ることが殆ど無い。基本的に日常は何もかも、予測可能で代替可能である。労働も消費行動も何もかも、日常はすべて予測できてしまう。こうなるだろうな、と思ったことがそのまま現実となる。退屈だ。つまらない。何度もクリアして完全に飽きてしまったゲームを、強制的にプレイさせられているような感覚だ。

 友人との会話とて、同様である。昔は個性的でユーモアに富んでいて、次に何をしでかしてくれるか分からなかった友人たち。年齢を重ねるにつれ、徐々にその「先」が見えてくる。酒や煙草や家族や仕事や、武勇伝。そういう、予測可能で代替可能な会話ばかりを繰り広げるようになる。そして彼自身、「父」や「母」や「上司」といった役割によって人格すら上書きされ、代替可能なものになってしまう。そうして個性は失われ、彼は単なる社会機能の一つとして生き永らえる。そういう者が徐々に、しかし確かに増えてきた。社会機能と交流を重ねたところで、一体どこに心躍るものがあろうか?

 ああ、つまらない人生。私が人生をつまらないものだと思っているのではない。人生自身が私につまらないものだと思わせているのだ。こうしている間にも、日常は刻一刻と予測可能な、代替可能なものへと変化しているのだから。

 

  • 私は何故死を選ばなかったのか?

 このような私であるから、享年が18歳でも、22歳でも不思議ではなかった。実際、ここ数年はどんどん色褪せていく世界を嘆き悲しみ、自身を責め立てていた。私が自らこのたいらな世界から逃れていた可能性とて、嘲笑の中否定できるものではない。

 しかし私は生きている。それは何故か。私の寿命を延ばしたものがあったから。

 

 明日はこれについて記述したい。実は日々の時間配分を見直したところ、このブログに割くべき時間は十五分となってしまったのだ。十五分以内で記述できるものを書く他にない。