2023.01.10(残355日)
もう十日も経ってしまった。のんびり過ごしていたらいつの間にか大晦日になってしまう。
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体罰の正当化理論
体罰を正当化する言説として、以下のようなものが見られる。
「三回注意しても理解できないのは動物。動物は叩いて教育する他無い」
さて、これの科学的正当性はさておき、果たして体罰とは動物のものなのであろうか?
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動物は叩いて教育すべきか?
まず、この信条は合理的であるか。答えはもちろん、ノー、である。
そもそも動物に対する躾として最も有効なのは、体罰よりむしろ報酬を使用することであると思う。現に動物園で芸を仕込む際には、行為に対して餌を与えている。むしろ動物たちには痛みがどのようにこの行為と結びついているのか理解できないのではないだろうか。私も一切理解できなかった。
我儘になる、と言うか。それについて私は論ずる立場にない。人間はそもそも生存において必要とされる以上に残虐な種であり、体罰が無ければ子供の残虐性は際限なく成長してしまうかもしれない。私は知らない。
ただ少なくとも、体罰は動物に対して有効なものであるとは言い難く、その意味で先の信仰は合理性に欠ける。
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動物は体罰を用いるか?
次に、動物は「体罰」を用いるか。
これも私は知らない。そもそも体罰の定義が曖昧である。例えばハイエナは幼児同士で殺し合いをするが、親は止めない。これも人間から見れば「体罰」と言えるだろう。当然、ハイエナにとってそれは繁殖の一助でしか無い。何が「体罰」であって何が「体罰」でないかというのは、基本的に種によって子育ての方法が異なっているので、一概に述べることは出来ない。
そして、私が知らないことを親が知るはずもない。正確に言えば、人間が知る由もない。動物たちにとっての合理性、非合理性を人間が知ることなど出来ないのだから。故に動物は「体罰」で以て教育しなければならない、というのは正確性に欠ける。