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2023.01.16(残349日) 日本人が英語を話す必要性について

2023.01.16(残349日)

 

  • 英語話したいマン

 日本人は日本語しか話せない。有名なことだ。西洋人には母国語と英語と、両方使える者が多いというのに、日本人で英語も話せる者は限られているのではないだろうか。

 実際、やむを得ないことであると思う。日本語と英語とはあまりに遠い。同じ言語であるというのに、文章構成からして大きく異なっている。日本語では目的語を最初に考えるのに、英語では動詞をまず考えなければなければならない。それに冠詞や不定詞など、日本語にないものが英語にはあまりに多い。それに慣れ親しむのには相当の訓練を要することだろう。私もそれでとても難儀している。

 しかし、いずれ英語は話せるようにならなければならない。少なくとも私は危機感を抱いている。それは何故か。

 

  • 盛者必衰:日本国

 そもそも何故、日本人は日本語だけ話せば良かったのだろうか。政治家や経営者すら英語を話せないというのは驚くべきことである。それで済んでいた過去があるはずだ。

 理由は単純で、日本が巨大国家で、国内マーケットもまた大きなものであったためである。過去の日本というのは、それこそ一大マーケットであった。一億人以上の人口を要し、そのうちの多くが富んでおり、そして何より流行に飢えていた。そのエネルギッシュな金回りは、きっと多くの金を生んだことだろう。国外に出向くまでもなく、日本人は多くのビジネスチャンスを得ていた。だからこそ、日本人は英語教育をそれほど必要としていなかったのだろう。

 しかし現代はどうか。日本が凋落国家である、とまでは言わない。が、明らかに衰退局面である。そもそも高齢者が圧倒的に多く、エネルギッシュな経済活動は期待できない。そして若者はそこまで裕福ではない。むしろ過去の世代に比べれば困窮している者のほうが多い。そのような状態で余剰品を買い求める余裕もない。その結果、さらに国内需要は落ち込み、困窮は加速する。民主主義国家であるため、高齢者の圧倒的に多い現状では抜本的な改革も難しい。故に衰退は衰退を呼び、結果として日本は徐々に国力を奪われ、国内マーケットも徐々に縮小する。もはや政治の努力で解決できる局面ではない。日本は衰退する他にないのである——革命でも起きない限り。

 そして革命も望めそうにない。加えて悲劇的なのは、国民の国家運営に対する責任感も恐ろしく低いことにある。衰退は政治の責任であるとして批判するばかりで、自助努力によって解決することを考えない。政治家の糾弾という自慰行為に徹し、国家の衰退という深刻な問題を酒宴の肴としている。

 絶望的だ。参画意識がまるでない。中近世の、政治が平民と完全に分離されていた時代と何ら変わらない。むしろ現代では選択肢が与えられているにも関わらず、進んでそれを放棄するどころか、どうでもいいスキャンダルを騒ぎ立て妨害する。議事堂や大統領府に市民が乱入するような国家より、根本的には悲惨な状態だ。日本国民は少なくとも、政治に関して恐ろしく幼稚である。幼稚な国民にとって近代民主主義は明らかに「おもちゃ」であった、と私は予てより指摘している。

 そもそもこれまでの歴史とて、たまたま運良く進んでいたに過ぎない。日本という国家は、どうしてだろうか、いくつもの局面で幸運がすぎる。幸運は長続きしない。

 

  • そして英語は求められる

 さて、この場合、使用可能言語が日本語に限られる状況は極めて好ましからざるものとなる。衰退するマーケット、しかも二十年後には恐らく見る影もないようなマーケットに限定されていたら、未来は一切ない。我々世代は将来、確実に国外へとマーケットを求めなければならない。

 ではそのとき、最低限必要とされるのは一体何であろうか。英語である。故に我々は英語を話せなければならないのだ。