2023.01.23(残342日)
眠い。しぬ。私は精神的不老不死なので死ぬこともまずないが、こうも眠いと物事に取り組むために多くのエネルギーを要する。勘弁願いたいものだ。
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我々とは成果である
人生において何より求められるものは何か。それは成果である。何故か。我々の肉体はやがて大地へ還るから。我々の思念や言動そのものには何ら価値が無い。我々を定義するのはすべて、具体を持った成果にほかならない。故に成果こそ、人生に求められるものである。
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労働は成果ではない
この意味で労働は人生において不要なものであると言えよう。労働、とりわけ現代的労務では、たしかに「成果」を生み出しているようにも見える。皆人生の多くを費やして何かしら意味がありそうな作業に勤しんでいる。むしろ、これで成果が残っていない、自身の存在証明がなっていないなど、思いたくもないだろう。
がしかし、その「成果」はまるで湖に水滴が一滴ぽたり、と落ちるように、全体に溶け込んで区別がつかなくなる。それでは消えているのと何ら変わらない。消えた成果に価値などない。その意味で、労働は人生において何ら意味を持たない。意味を持たないものは不要である。故に労働は不要なのだ。
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輪郭を持つ成果は尊い
つまりこうも言えよう。成果とは輪郭を持たなければならない。どれほど小さくとも、例えば滝壺に沈む小石のように、それぞれの形を持っていなければならない。むしろ、形さえあれば成果など、どれほど小さくとも構わない。成果は成果であることこそが尊いのだから。
要は、自分が今日一日何をしたか。それはどういうもので、人生においてどのような役割を担うのか。それを把握することこそ、自らの人生に明かりを灯し、自らの顔を顕にし、そして肉が消える日の糧となるだろう。