2023.01.26(残339日)
- 我々とは成果である
私の一貫した人生観として、以下のようなものがある。
我々とは成果である。我々の肉体は最終的に消え去るのだから、我々の思念や葛藤は何ら重要ではなく、具体的な成果こそ我々を意味付けるものである。成果こそ、我々の存在意義である。そのように考えている。
では、具体的な成果とは何か。多くのものが考えられる。が、基本的に多くの人間が残す成果はたった一つ。子である。
- 子とは悲しい成果である
動物は子を残す。子は両親の存在無くして成り立たない。両親の交わりによって発生し、両親の努力によって維持される。これはもちろん、成果である。子とは親にとっての成果なのだ。
これは人間においても同様である。人間が結婚を経験するのも、交わるのも、家庭を持つのも、基本的に子という成果を残すための作業工程に他ならない。一匹の動物が存在意義を得る過程。
そして悲しいことに、この成果は安易に利用されがちである。無論、結婚や出産そのものが安易なのではない。安易なのは、本人自身においてである。誰でも子が居れば存在意義を得られる。夢を諦める口実、自身を捨てる口実として、子は極めて有効に作用する。そういう意味で安易なのだ。
私はこの意味で、結婚や育児に、ある種の悲しみを抱いている。結婚したから、子供が居るから、そうやって自分自身から目を逸らす者が在るから。
今日の文章は拙い。お蔵入りだ。