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2023.01.28(残337日) 大人の嗜みについて

2023.01.28(残337日)

 

  • 大人の嗜みについて

 大人の嗜みというものがこの世には確実に存在する。成熟した個体でなければ楽しめないような代物のことである。とりわけ三大・大人の嗜みとして、以下のものが挙げられることであろう。

 酒。煙草。そしてセックス。

 そのすべてを体験して——体験しなければ論ずることは出来ない——私は思ったことがある。

 飽きた。

 典型的な、憧れで済ませておけばよかったもの。作品のように。

 あれほど輝いて見えた星々。近づいていれば何ということはない、ただの砂埃であった。

 

  • 大人の嗜み:野蛮な勲章

 では何故、飽きるのか。簡単なことだ。大人の嗜みというものは概して、事後の味わいが最悪なのだ。

 酒。飲んでいる最中は確かに上機嫌、饒舌、快さが心身を満たす。が、酔いが覚めれば。飲みすぎれば鋭敏化した嗅覚によって自身を臭いが貫くし、胃の中では飲食物が反乱軍として暴れ回っている。それほど飲まずとも、少なくとも体温は極端に低くなるし、殆ど確実に悪夢に苛まれることとなる。いずれにせよ、素晴らしい心地ではない*1

 煙草。吸っているときだけが救いで、それ以外は最悪の心地だ。思考は鈍るし常に苛立つ。吸っていなければ平穏は二度と訪れない。それこそ、完全にニコチンを絶たぬ限り。

 セックス。最中は確かに快楽の虜である。しかしそれに至る工程があまりに多いし、事後も事後でやたらと手順を要する。しかも最悪なことに、性的快楽という第一目的においてさえ、セックスはそこまで強力なイニシアチブを持っていない。現代では多くの用具が開発されている。性的快楽という意味ではもはや、セックスに頼る必要は何一つ存在しない。つまり手間だけ掛かって見返りはそれほど多く貰えない。

 概してこのようなものだ。大人の嗜みというのは確かに、それ自体への魅力を持つ。が、そのために何かを犠牲にしなければならない。そしてその犠牲ほど、得られる対価は大きいものではない。さらに現代では、犠牲を払わずして見返りを得られる娯楽が多く存在する。依存対象としても最適な娯楽が。例えばゲームや映画など。故に大人の嗜みは強力な娯楽と成り得ず、数回で飽きられる。

 こうも言えよう。大人の嗜みというものは現代において、娯楽としても依存対象としても野蛮である。現代において、彼らは必要とされない。故に現代において、大人の嗜みとは社会経験や勲章でしか無い。

 平たく言えば、大人の嗜みとは現代において「私は大人です」「私はこんなに大人なことをしています、羨ましいでしょう」という自己顕示である。それを見て少年少女は憧れを抱く。

 憧れるだけで済ませておけばよかったのに。嗚呼、この世は儚い。夢はいつも簡単に崩れてしまう。ウィスキーが泥水だとは思わなかった。

 

  • では、どうして?

 だから私には分からないのだ。何故多くの人間が、あんなものに依存してしまうのか。余程健全で危険な娯楽が、この世には燦然と輝いているというのに。

*1:ただし、食事の一環として嗜む分にはこの限りではない。日本酒は鍋を際立たせるし、ワインはパスタを際立たせる