2023.02.01(残333日)
-
俯瞰が苦手な私
私は俯瞰が苦手だ。大局観というものが、生来的に欠如している。それぞれが切断された事柄に映って見え、全体像を把握することが出来ない。
例えば将棋。私は将棋がとても弱い。何故か。数手先しか読めないから。数手先において有効である手を連続して打つに過ぎない。当然、数手先において有効であっても数十手先で同様に有効であるとは限らない。むしろ、そうでない場合の方が多い。故に、負ける。
このように私は大局観というものを持ち合わせていない。日常生活では特に差し障りもないのだが、大いに困ることもある。とりわけ、執筆においては。
執筆では情景や登場人物の心情に最新の注意を払って書き進めなければならない。故に近視眼的表現に終止しがちなのであるが、本来物語というのは川の流れのようなものであって、時には上流から下流のそのすべてを俯瞰しなければならないこともある。私はこれが出来ない。どうしても川底に沈む石だけを見つめてしまう。これが私の現状における最大の障害である。
-
俯瞰しない俯瞰を!
では、これにどのように対応するか。現状ではこうだ。
俯瞰を諦める。
無論、川は美しく上流から下流に接続されていなければならない。堰き止められては崩壊してしまう。故に俯瞰は最終的に必要とされる。それをいちばん最後に委ねるのだ。
とりあえず、最低限のプロットを目印に、各箇所を近視眼的にどんどん書き進める。そして最後に読み返し、心情、情景、表現技法、そして全体との連関を俯瞰によって総点検する。
つまり、書いて、振り返って、直す。これが、俯瞰の出来ない私なりの対処法である。