2023.02.03(331日)
- 藤井風:ほんとうの詩人
藤井風が宗教二世であり、楽曲の中にその教義をふんだんに盛り込んでいることは、既に周知の事実であろう。これを以て藤井風を糾弾する者すらある。
が、私はむしろこの事実を耳にして、藤井風に対する評価が突如として高まった。私は負けた。彼に。彼の練り上げた歌詞を下らない恋模様であると思っていたら、本当は宗教の教義であったのだ。この感動たるや。彼は表面上大衆受けするような言葉で、彼のほんとうの心を歌っていたのだ。
これを人は詩と謂う。むしろ詩とは、彼のようでなければならない。最近の邦楽にありがちな、文字以上の何も読み取れないようなものであってはならない。
そもそも。音楽とは何か。音楽とは信仰の告白でもある。古来、人は信仰を歌っていた。この点において、彼の行為は音楽の原点に立ち返ったものであるとすら評価できる。古典的な音楽を現代音楽の文脈に落とし込む。これをどうして、人は糾弾できるだろう?
- 藤井風の放つメッセージは危険か?
そもそも何かしらのメッセージを盛り込むのが危険な行為である。そういう指摘もあろう。
が、そのように言うものは恐らく藤井風の楽曲を聴いたことがないか、単に学が無いか、その両者であると思われる。藤井風の盛り込んだメッセージは、古来多くのところで語られている。そこに危険性などない。
彼の述べていることはつまり「汝自身を知れ」というものである。汝を知れ。このワードを知らない者は居ないだろう。古代ギリシアから語られている一種の理念を、藤井風は彼の信ずるものを通して現代に落とし込んだに過ぎない。それを以て危険と判断するのは非常に難しい。危険と判断するものというのは、藤井風のメッセージを知らない者か、そもそも「汝自身を知れ」というワードを聞いたことのない者か、そのいずれかに限る。
むしろ良いではないか。現代の情報の荒波に押し流され、自分という錨を下ろすことも出来ずに揺蕩っている不安定な若者にとって、彼の歌詞はそれこそ精神安定剤となるであろう。
確かに新興宗教というのは多かれ少なかれ資本主義に毒されている側面があり、好ましいとは思えない。が、だからといって意味もなく宗教を糾弾するのは嗤われるべき所業である。宗教法人の悪行と宗教そのものとは区別して考えなければならない。ちなみに、私は藤井風の信ずる宗教を知らない。