2023.02.07(残327日)
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どういうときに頭は冴えるの?
少なくとも私においてではあるが、創作というのは頭の冴え渡っているとき、そうでないときがある。冴え渡っているときには考えるまでもなく——嘘じゃない、本当に思考されていないのだ——その白紙に書かれるべきであったろう言葉や構図が躊躇なく私の脳裏から滝のように溢れ出て流れ落ちる。一方冴えていないときは何を書いても陳腐で平凡で卑しいものばかり生産されて仕方がない。冴えているとき、そうでないとき、その差は歴然としていて同化されることを知らない。同一人物が私であるとは思えないほどに。
では、それは何によって規定されるのか。冴えているとき、冴えていないとき、それは一体何によって分かたれているのか。今日はそれについて考えたい。
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睡眠のおかげ?
第一に睡眠時間である。長すぎても短すぎてもいけない。基本的に九時間睡眠が最も望ましい。あるいは夜更かししてはならず、午前一時までに寝なければならない。これが満たされなければ少なくとも頭の冴え渡るときは決して訪れない。
が、これはあくまで必要条件であって条件ではない。睡眠時間が充足していたとしても頭の冴えない日はある。では、他に一体何が規定するのだろうか?
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炎のおかげ?
正直分からない。判然としない。そもそも創作に長らく携わってきた人種ではないので、現状研究段階にある、というのが正しい認識であろう。が、一つ思うところがあった。
それは炎である。炎、としか表現しようがない。頭の冴え渡っているとき、それは明らかに身体の中に炎を宿しているときである。炎が高く燃え上がっていればいるほど頭はどこまでも冴え渡り、思考なしのアウトプットを可能とする。反面、アウトプットが平凡の病に苛まれるときというのは大概、その炎が燻って沈んでいる。
ではどうすればよいか。炎を奮い立たせれば良い。炎にくべる燃料はそれこそ、心を突き動かされた作品の数々である。それを定期的に体内に取り込むのだ。それによって炎は燃料を得、燃ゆるところを得、そして最終的に身体を得ることだろう。