まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2023.02.22(残312日) 生と死の間にある二つの関係性について

2023.02.22(残312日)

 

 

  • 生と死の二つの関係性

 昨日は革命の最中であった。十分に説明を尽くせるような状況でもなかった。故に今日、記したい。

 生と死について、私はこれまで一つの関係性においてのみ成立していると考えていた。しかしそれは明らかに誤りであった。生と死については、二つの関係性が存在したのである。

 

  • 生と死の不可分性

 第一に、生と死とは不可分である。

 生と死は接続している。我々はどのように生きていようとも、最終的には死に至る。我々の生とは死への道程ですらあるのだ。故に、生と死とは不可分である。

 

  • 生と死の不可侵性

 第二に、生と死とは不可侵である。

 生と死が混ざり合うことは決して無い。何を「生」と定義し何を「死」と定義するかにもよるのかもしれないが、とにかく、一般的に生の状態と死の状態は明らかに独立した現象として捉えられる。生きながらに死ぬことも、また死にながら生きることもできない、生から死への移行は不可逆的で、かつ過不足なく完全に執り行われる。故に生と死は不可侵である。それも相互に。

 

  • 生と死の二面性:貴方はどちらを選ぶか?

 このように、生と死の関係性は二種に分析される。この場合、いずれが正しいものであるか。

 いずれも正しいものであると言えよう。我々は死ぬ。しかし生きている我々が死んでいることは決して無い。生と死は不可分であり、かつ不可侵である。このようなものであるから、両者とも誤っているものではない。少なくとも、私の感ずる限り。

 問題なのは、いずれを個々が選択するか、にある。生を死への道程、即ち本質的に無であると考えるか。それとも生は生であるとし、死の影響を排除するか。生と死の二面性のうち、どちらを選ぶか。それは人間の都合だ。生死の都合ではない。

 バランス良く選べば良いではないか。不可能である。恐ろしいことに、不可分性と不可侵性とは互いに相容れない。不可分でありながら不可侵であるものなど、この世には生と死の他に存在し得ない。故に我々はいいとこ取りをするわけにはいかない。いずれかと選択しなければならない。

 では、どうする?

 

  • 補記:快楽と生死の二面性について

 ちなみに、快楽は前者と相性が良いように思う。生が無であるのだから、その生において何をしたとしても意味を為さない。故に、その生が破綻していたとしても、その生そのものが何ら意味を持たないので問題にはならない。例えドラッグで精神が壊れていようとも、暴飲暴食の末に激痛に襲われる毎日が待っていたとしても、結局死ぬのだ。良いではないか。

 生を生として考えている者の場合はこうもいかない。生は生として成立していなければならない。生から死の影響を排除したものはむしろ、徹底的に慎ましい生活を送ることとなるだろう。