まどどブログ

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2023.02.27(残307日) 映画『バビロン』の感想

2023.02.27(残307日)

 

 昨日の記事の続きはまた明日。今日の私には生死よりもずっと、大切なことがある。

 

 『バビロン』を観た。あれは私の人生であった。

 ジャック・コンラッドと私は——そして勿論、ジョン・ギルバートも含め——皆、同じだ。一度スポットライトを浴びた。そして抗いがたい「何か」によって、己の時代の終焉をみた。あとに残るのはまさしく、クソのような時間だけ。それが彼の人生。それが私の人生。そんな私の人生を、『バビロン』は痛々しいまでに鮮明に描いた。

 誰かがこう言うのが聞こえる。お前はまだ若いのだから、容易く自身の未来を否定するな。あるいはこう言う者も居るだろう。何も成していないくせに、ジョン・ギルバートを語るなど言語道断。

 分かっちゃいない。誰も私のことなど分かっちゃいない。私は確かにスポットライトを浴びたのだ。そのスポットライトがどのような大きさで、どれくらいの数の人間を前にしたのか。そんなこと問題ではない。私もまた、確かにスポットライトを浴びた。そしてスポットライトはもはや私に当てられていない。たったそれだけ。皆、同じだ。スポットライトを浴びたものなら。袁世凱大友皇子ナポレオン・ボナパルトも、皆同じ。かつてスポットライトを浴びていた。しかし今は違う。スポットライトはもう見ていない。

 そう。スポットライトが当たるはずもない。私が求める世界が、この社会には存在していないのだから。商業主義であろうが資本主義であろうが民主主義であろうが、もはやどうでもいい。そんなことは些末な問題だ。私にとって問題なのはたった一つ。

 私は人間を愛していた。私は幸せだったのだ。誰かを疑わなくとも良い世界に居られて。他者に媚びる必要も、嘘を吐く必要も、自分を偽る必要もなかった、あの世界の中に居られて、私は心の底から幸せだった。私は私のままで居られた。楽しかった。でもそんな世界はもうどこにもない。あの世界はもう滅びてしまった。

 私に残された時間は既にクソである。この世界はあまりにファックである。ファックな世界でスポットライトが再び当たるはずもない。仮に私がこの世界において名を広めたところで、それが何だと言うのか。あの世界はもう戻らない。ただファックな世界でクソがクソしただけ。クソ以上でもクソ以下でもない。それはスポットライトでも何でもない。ただのクソである。糞尿が例え煌めいたとて、それをスポットライトとは決して呼ばない。

 だから私は彼の最期が痛いほど分かる。ジャック・コンラッドが、財産を多く持っていて、悠々自適の隠居生活を送ることが出来たにもかかわらず、それでもなお拳銃自殺という道を選んだのは。

 

 クソみたいな世界で、二度とスポットライトを浴びることのない世界で、理解者すら失って、それでもなお生きなければならない苦しみが、君には分かるか?

 それでも私は生きなければならない。諦めるわけにはいかないのだ。雨に唄えば、きっと道は開ける。