2023.03.18(残288日)
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「日本人」の中の民族について
我々日本人は基本的に民族というものに極めて無頓着である。
現状、日本において存在している民族というものは二つしかない。和人とアイヌ人である。それも、もはや曖昧なものとなりつつある。北海道にルーツを持つ人間の一体どれくらいが、先祖が和人であるかアイヌ人であるか知っているであろうか。少なくとも私は知らない。
そもそもかつて、日本には数多の民族が在ったはずだ。現代の基準において「民族」と呼び得るものであったかどうかは別として、数多の民族が古代の文書に名を残している。出雲、熊襲、隼人、渡来人、蝦夷。もはや現代において見る影もない。強いて言えば、東北や南九州に難読地名が多いであるとか、鹿児島県民の顔が濃いであるとか、その程度である。後者など隼人に由来するものであるかも定かではない。
それは古代だからだ。古代の、それも文字すらおぼつかない時代の民族が現代にまで残っていないからといって日本人が無頓着であると断言するのは誤りである。
ではこれはどうだろうか。朝鮮出兵時の俘虜たち。在日韓人、在日華人。旧朝鮮王族の末裔たち。琉球の民。これらは明らかに異国の民であり、いわば和人とはあきらかに異なる民族である。そして、彼らが日本に渡ってきた時代というのは既に情報伝達技術が発展しており、彼らの去勢は隠そうとも隠しきれない。必ず歴史の中に残るし、彼らのアイデンティティは必ず同志にも共有されているはずである。
しかし今や、誰が在日系の方で誰が旧朝鮮王族で誰が琉球系であるのか見分けがつかない。少なくとも私には判別できない。せいぜい名前でなんとなく察するくらいだろうか。もちろん、水面下では簡単な交流が為されているのだとは思うが、我々庶民に明らかになるほどの大きな運動とはなっていない。
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同化を成すのは日本という島か、和人か?
思うに、恐らく日本には、日本という島の中に居るものをすべて融解させてしまう力があるのだと思う。それは和人の異様な同調圧力のせいなのか、異分子を徹底的に排除する伝統のせいなのか、マイノリティが日本という風土に積極的に馴染もうとした努力のおかげであるのか、それとも日本という島に独特の何かがあるのか。それはわからないが、とにかく、日本という島の中では、朝鮮人も、琉球人も、中国人も、アイヌ人も、そして他ならぬ和人も、皆「日本人」になってしまうのだ。
つまり正確に言えば、日本人が無頓着であるのではなくて、誰も彼もこの国家においてはみな「日本人」になってしまう。これは移民が圧倒的マイノリティであったために成り立っていたもの、とされてきたが、果たして和人の異様な執着によってのみ、この現象は見られるものなのだろうか。
それは今後、明らかとなるだろう。これから移民者として日本に入るであろうイラン人やラオス人。彼らは「日本人」になるのか。それともイラン人やラオス人のままなのか。