まどどブログ

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2023.03.19(残287日) 予定調和の破壊について

2023.03.19(残287日)

 

 

  • 「予定調和の破壊」に対する愛の告白

 今日もまた、私の話をしよう。

 私は予定調和の破壊を愛している。何よりも予定調和の壊れるとき、顔は破れるのである。もちろん、笑いの一要素として予定調和の破壊はあり、一般的な人間に関しても予定調和の壊れてしまうとき、おかしみを覚える者は多く在ると思う。私の場合、それが度を越している。例えば、私にとって最も笑いを誘うものはアダルト・ビデオである。先ほどまで生真面目に会議をしていた者たちが突然セックスを始める様など、今書いていても思わず息を一つの塊として吐き出してしまうほどに面白い。私が洋画に惹かれるのも、一つにはそれがある。洋画は基本的に意味もわからずセックス・シーンへと移行する。あのトップ・ガンでさえ、殆ど本筋と関係することなく濡れ場に突入するのである。爆笑以外の何を、あの場面で一体私は見せれば良いというのか。本当に、勘弁願いたい。だから私は洋画を好む。

 むしろ邦画はつまらない。予定調和に次ぐ予定調和。邦画を観ているとき、私は映画の世界に乗り込んでいって銃を乱射したい、そういう欲求に駆られる。そのほうが明らかに面白い。

 以前、私はつまらない作品の定義として「トム・クルーズの突如として登場し爆撃して去っていくシーンを挿入したほうが面白い作品」と書いた。それは私の愛好にも依っている。とにもかくにも、私は予定調和の破壊こそ滑稽であり、笑いの種であり、作品に求められるものなのである。

 

  • 映画『バビロン』における美

 この意味においても、先日の『バビロン』は素晴らしい。予定調和の破壊、予定調和の破壊、そしてまた予定調和の破壊。すべてが破壊に満ちている。あれほど素晴らしい作品は、未だ嘗て観たことを知らない。

 ああ、今でも『バビロン』を初めて観たときの興奮を覚えている。忘れるものか。花は散るからこそ美しい。そして花が忘れられることなど決して有り得ない。それをあれほど鮮明に、それもハリウッドが描いてしまったのだ。我々日本人ではなく、アメリカ人が! 我々は恥ずべきである、今の邦画に『バビロン』を制作する能力のないことを。

 いずれまた、語りたいものだ。誰が読もうか? 私である。