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2023.04.04(残271日) 嫉妬の原因と利益的武士道について

2023.04.04(残271日)

 

 目が覚めてしまった。天然メガシャキの幕開けである。

 

 

  • ひねくれている人々

 独身男性はひねくれている、とよく言われる。実際のところ、何を以て「ひねくれている」と定義するのか明確でないし、かつ「ひねくれている」度合いというのも定量的に測られるものではないので、独身男性が有意にひねくれているかどうかは定かではない。しかし、あくまで体感として、独身男性はひねくれているような気がする。なお、ここでの「ひねくれている」というのは、他者の生活のすべてに嫉妬することを指す。

 独身男性に限ったことではない。基本的に、周囲に比べて何か劣っているような環境に身を置く者というのは、ひねくれている。例えば無職。例えば低賃金労働者。例えば社会的に没落した者。これらの人間の多くは、ひねくれている。ではそれは何故か。

 

  • 防衛機制による僻みとその対処:利益的武士道

 たぶん何百回と為されている議論であろう。彼らがひねくれているのは防衛機制によるものである。つまり、自身の中の劣等感やら何やらから自身を守るため、他者にそれを転嫁しているのである。

 しかしたいてい、ひねくれている人間というのは損をする。ひねくれている、という状態は一般に人間の幸福、受容されている状態を否定するものであるから、当然、社会的には疎まれる。疎まれることは損失を招く。故にひねくれている人間は損をする。損をしたいのであればまだしも、基本的に人間は損失から逃れることを是とする。出来ればひねくれているべきではない。では、どうすべきか。

 簡単なことだ。嫉妬。憎悪。拒絶。その反対の行動に身を投じれば良い。

 もちろん、防衛機制のアンチテーゼを実践するだけではならない。防衛機制のアンチテーゼはただ単に、他者の全面的な受容である。しかしひねくれている人間が他者の善意を素直に受け入れられるはずもない。

 ジンテーゼでなければならない。ひねくれていてなお、他者を受容する。つまり、自身の利益において他者を受け入れるのだ。

 例えば、他者の善意は——利害関係のない場合において——受け入れる。他者が自身の利益のために働いてくれた場合には素直に感謝を表明する。他人の幸福、門出、節目は素直に祝福する。このようにして、自身の利益を第一に考え、利益として他者を祝福する。こうすれば、ひねくれているような人間でも、防衛機制を破ることが出来るのではないだろうか。

 要は自身の利益において考えるべきなのである。自身の弱さを拒絶しているようでは、自身は損失を被る。自身の弱さを抱擁し、他者の強さを称揚することで、そのすべてを客観的に捉えることによって、利益は最大化される。

 

 これを私は現代的武士道——利益的武士道と呼ぼう。