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2023.04.16(残259日) 私はなぜ書くのか?

2023.04.16(残259日)

 

 

  • 私はなぜ書くのか?

 私はなぜ書くのか。あるいは、なぜ私は書かなければならないのか。これについて、私はずっと避けてきた。しかし、その逃避行にも終わりがやってきたようだ。人生の破綻。それを前にして私の肩は終に、彼の手の中にある。

 というわけで考えてみよう。簡潔に。

 

  • 動機にかんする定義

 そもそも動機というものは一つに限られない。あらゆる要因が原動力となって人間は動く。動機が一つしか無いのであれば恐らく、人間はこれほどまでに複雑な社会を形成できやしない。

 そして動機は大別して、積極的動機と消極的動機とに分けられる。積極的動機、即ち書くことそれそのものに対する動機。消極的動機、即ち執筆への強制力を持っている動機。

 ここでは、この定義に基づいて動機を考えたい。

 

  • 積極的動機

 アイディア。頭蓋の中で膨張するものを吐き出したいという欲求。

 内省。「私は誰?」という問いに対する解。

 冒険心。外界に対する好奇心、及び実践の結果として。

 レゾン・デートルの追求。私はなぜ生きているのか、私の生とは何か、そのような生

 自己の増殖。肉体に依存しない自己の開発。

 布教。人間とは肉であり動物である、あるいは人生とは風である、というドグマの伝導手段として。

 

  • 消極的動機

 復讐。私の人生を破壊した者たちへの、動物的本能としての攻撃欲求。

 現代労働への嫌悪。虚しく、かつ、出社も人間関係も面倒。

 人間からの逃避。他者への恐怖、および社会不適合から求められる逃避。

 

  • 大きな動機

 このうち、大きいものは何か。

 積極的動機からは、冒険心、レゾン・デートルの追求、自己の増殖。なお、内省は私の場合「私とは魂である」と言ってしまうところがあるので、あくまで日頃の自省ツールとして。

 消極的動機からは、復讐。

 

  • モチベがないときは

 こんなところだろう。モチベが地の果てに追いやられたとき、私は上記の動機、特に三つの大きな動機を思い出すのが良さそうである。

 この世界はどんな景色を持っているだろう?

 私はなぜ生きているのだろう?

 そして、私は動物として、彼らを殺さなければならない。彼らの腸でソーセージを作ってやらなければならない、そしてそれを彼ら自身に喰わせてやらねば! 腸を割いても他の臓腑は健全でなければならない、そうでなければ胃から彼ら自身のソーセージを垂れ流しにしてやることも出来ないのだから。自分で自分の肉を喰らい、しかも消化して自分の一部とすることも出来ず、自身のソーセージに拒絶されて彼らは死んでいくのだ。なんと愉快なことか! ハラキリに次いで滑稽で趣深い。源氏物語第五十五巻『ソーセージ』、として出版しよう。