2023.04.17(残258日)
- 私は何を恐れているのか?
私は確かに、恐れている。私は確かに何かに対して、漠然とした恐怖を抱いている。確かに私は慄き、怯え、悲しんでいる。では、何に?
人間に対してである、と思っていた。確かに私は人間が得意でない。基本的に人間というものは、あまり信用に値するものであると思っていない。厳密に言えば、あくまで私の生活において、現状の生活水準が維持されるという仮定において、純然たる他者との関係性はさほど必要なものであるとは思わない。そしてそれは、人間に対する恐怖から来るものであると思っていた。
しかし、恐らく違っていた。私は人間を恐れていたのではない。では、何を?
労働である。
- 労働は面倒だ、故に怖い
私は労働を嫌悪する。それは何故か。
面倒だから。労働とは、賃金の対価として自身を差し出す行為に他ならない。時間。肉体。精神。賃金のために、これらを差し出さなければならない。避けたいだろう。労働は単純に、面倒だ。面倒なことはしたくない。どんなことでも。眠っているほうが幸せなのであれば、眠っているべきなのである。
故に私は労働を憎む。いや。労働を恐れている。労働によって私が苦悩の渦へと追いやられるのを、恐れている。したくないことをさせられる、そういう状況に恐れを抱いている。
怖い。いずれ私も労働の一部となってしまうのではないだろうか。一般大衆と同様に、私は労働という海の中へと融解し消え去るのではないか?
そう思うと怖くて怖くて、仕方がない。故に私は自身を守るのだ。労働から、必要以上に。それは人間に対してではなく、潔癖症として生じているのであった。
- 労働への恐怖を消し去るには:
では、この対立を如何にして解消するか、が当然議論されるべきであろう。
残念ながら私には未だ、その解消方法を見出だせていない。労働は面倒だ。面倒なことはしたくない。労働が面倒でなくなることは有り得ない。少なくとも現代労働は。
では、どうすれば?