まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2023.04.18(残257日) 労働依存症について

2023.04.18(残257日)

 

 

  • 新型うつ?

 新型うつ、という疾病をご存じであろうか。何か特定のことを考えるときにのみ抑鬱状態の顕現するものを指すと云う。特に、労働を。

 そして私は嘘を吐いた。新型うつは疾病でもなんでもない。ただ単に、あらゆる精神疾患の総称として用いられているに過ぎない。らしい。私もいま初めて知った。

 しかし一つ、確実に言えることがある。新型うつ、などという言葉が人口を膾炙する、その時点で、この社会には興味深い悪魔が根を張っている。

 

  • 労働と新型うつ、そして労働依存症

 人間はそもそも、労働を嫌う。何故か。何もしないほうが心地良いから。あるいは、快楽的であるから。無論、人間というのは弱いもので自由に長期間耐えられず、極めて長期的に観察すれば労働に行き着く者も多いだろう。その意味で、多くの人間は長期的に労働を愛している、と論ずることもできようが、それは異常な心理状況を前提としているものであり、人間そのものへの評価としては極めて不正確である。通常の心理状況としては、労働を嫌う者が多いだろう。

 新型うつもまた、その活動の一環に過ぎない。労働は嫌われる。逃避行動にも走るだろう。しかしそれは精神疾患ではない。厳密に言えば、たとえその行動が精神疾患の症状としてであったとしても、逃避行動そのものが根本的な問題ではない。本質としての問題は、労働そのものである。労働があるから、逃避行動が発生するのである。労働は客観的に観察して、嫌われ者なのだから。あるいは嫌われることを定められているのだから。

 それを「新型うつ」などと、あくまで人間のほうが誤っているように見せている。労働は愛されるべきものであるのにそれを愛さない不届き者が居る、とでも言わんばかりに煽り立てる。愚かしい。その価値観こそ、明らかに誤っている。労働を嫌うのは極めて自然。労働を愛しているほうが異常者である。

 これを私は、労働依存症と呼ぼう。

 

  • 労働依存症の危険性:依存症、人間性の破滅、そして社会に有益

 むしろ私が問題視しているのは、彼らの患っている病。労働を愛するという異常行動。労働依存症である。

 労働は基本的に忌避されるものであるというのに、一部の人間は労働に異常なまでに執着を見せる。一例として、新型うつという言葉の発明。発明者はきっと労働を愛している。そして労働を愛するのは、快楽を求める動物の本能から明らかに離れている。故に労働への愛は異常行動であり、それは労働依存症とでも呼ばれるべきものである。

 労働依存症の何が危険か。端的に言えば、人間の本来あるべき姿から遠ざかるから。快楽を求めることこそ動物として通常の生き方であるのに、労働依存症はそれを否定する。人間の動物性を否定するのだ。人間は動物でしかないのに、人間は動物ではない、と定義付ける。この矛盾は多かれ少なかれ、人間に無理をさせる。そして待っているのは、動物として破綻した人間の姿だ。

 しかも、その病の厄介なところは、社会への有益性である。労働依存症は労働に依存してしまっている。そして労働は生産物を残す。故に労働依存症は、社会により多くの生産物を残す。労働依存症はアルコールやニコチンと同様、依存症でしかないのに、社会にとっては他のそれと異なり、健常者よりも社会的有益性を患者に与えてしまうのだ。

 

  • 労働依存症患者は社会を壊す

 では、労働依存症は社会を如何に変化させるか。

 簡単なことだ。社会を壊す。労働依存症患者は健常者に比べ社会にとって有益であるので、社会において大きな発言力を持つ。つまり、彼らの思想が世界のデファクト・スタンダードとなる。そして彼らの思想とは、人間における動物性の否定である。それが世界に広まったらどうなるか。人間は動物でありながら動物でなくなる。その矛盾は人間を破綻させる。そして人間が破綻すれば、文明は失われる。終に彼らは社会を壊す。

 実際、そうなりつつあるだろう。そもそも本来、人間が動物であるならば、ここまで広範に戦争が起こるはずもなかった。あまつさえ核爆弾などという、自らの種を滅ぼす力を好き好んで保持しているのだ。狂っている。労働依存症の蔓延の末路が、これだ。

 

  • 労働依存症患者よ、快楽を覚えよ!

 では、我々はどうすべきか。

 とても単純。労働依存症患者を治療しなければならない。あるいは、教えなければならない。快楽的でないことは、いけないこと。そうして彼らを通常の状態に誘うか、あるいは、黙らせなければならない。そうすることで、少なくともこれ以上、人間の中の動物性が否定されることはない。

 故に私は言おう。労働依存症を認めよ。そして治療せよ。彼らによってこれ以上、社会が破滅に近づく必要などない。あるいは彼らをこれ以上、我々の生贄とする必要もない。社会を、そして労働依存症患者を、我々は遂に救わなければならないのだ。

 

  • 補記:なぜ動物性の否定が人間を破綻させるか?

ところでなぜ、矛盾が人間を破綻させるか。

 自分のことだと思って考えてみてほしい。気怠くとも眠くとも嫌なこと、つらいことをしなさい、と言われ続けて、肉体を酷使され続けて、健全な精神が保たれると思うだろうか。

 自分は保っている。そう言う貴方は既に健全な精神を失っている。貴方の視界は子供の頃と同じか。感受性は。貴方はワクワクしているか。遠足前夜の、八歳のように。

 知識があるからワクワクしない。馬鹿を言え。人間は何も知らないのだ。何歳になろうとも赤子同然。人間にあるのは思い込みだけ。それ以外には何もない。そういう思い込みを真に受けている時点で、貴方は既に人間として破綻しつつある。