2023.04.20(残255日)
最近、興味深く拝見している劇場がある。それは絵師のSNSという名の劇場である。
この劇場では以前より、絵師が演者を務め、殆ど絵師によって完結されていた。しかし近頃、どうにも新人が演者入りを志望しているらしい。それが、AIである。受け入れてやればいいものを、演者たちは必死に抵抗している。必死に抵抗しているうちに新人はめきめき腕を上げ、もはや演者たちと見分けの難しいほどにまでそれでも演者は抵抗している。
要はAI絵に対する絵師たちの反抗を、部外者たる私は面白おかしく眺めているのだ。南無三。
さて——著作権などの問題は煩雑ゆえ一旦省くこととして——なぜ絵師たちをAIは置き換えんとしているのであろうか?
-
技術者は置換される:文明社会のおきて
非常に単純なことだ。絵師は技術者だから。
そもそも絵師とは技術者である。技術者は文明社会において、基本的に置換される立場にある。
絵師は如何にして生計を立てているか。自身で上流から下流のラインを保持していない——つまり漫画家や一次創作の独立系でない——という受注生産方式によって彼らは生計を立てている。つまり、絵を描くことの出来ないクライアントの注文を受けて絵を仕上げる、というビジネスモデルを彼らは形成している。
ではクライアントが直接、絵を仕上げられるようになったら? もちろん彼らは職を失う。それがAIによる置換である。
何もこれはAIに限って見られる現象ではない。産業革命以降、いやそれよりも遥か前から、こういうことは起こっていた。文明の進歩によって技術者は簡単に職を失う。例えば木簡職人。
-
AIは「データ抽出者」すべてを襲う——経営者も同様に
たぶん、めちゃくちゃ怒る人がいると思う。俺たちは技術者じゃない!
敢えてそうした。正確に現象を観察する。
AIが置き換えんとしているのは絵師に限らない。そもそも世間一般に伝わる「技術者」にすら限らない。経営者すら、既に置き換わろうとしている。彼らが置き換えるのは技術者、つまり膨大なデータから最適解を導き出す活動に従事する人間——データ抽出者そのものである。
そして私はデータ抽出者もまた、基本的には技術者に他ならないと考える。それは膨大なサンプルデータから、良さそうなものをつまんでくる行為に他ならないから。広大な土地から金脈を探し当てるようなものだ。故に私は技術者が置き換わる、と論じているのである。経営者もまた、基本的には技術者でしかない。
もちろんジョブズやザッカーバーグは例外で、有象無象の社長たちのことであるが。
-
なんで絵師だけ——資本主義のおきて
しかし現実はどうか。絵師が真っ先に消え去らんとしている。なぜ、絵師が優先的に排除されているのか?
これも簡単だ。彼らは保護されていないから。資本主義下において、個人の力は極めて乏しい。労働組合のような保護団体があってはじめて、個人は守られる。では絵師は?
個人は淘汰される。それが資本主義である。
-
次は誰?
私が危惧しているのは、次、である。
一般事務? 押印作業? 貸借不一致の確認?
NOPE!
企業体内部の事務作業——誰にでもできそうなピーシズ・オブ・シット——が置換されることは到底無いであろう。法人は法律を盾として、既得権益の保全に全力を尽くす。行政も失業率の観点から、敢えてこれらの置換に手を染めることはない。何より、今は資本主義社会なのだ。資本主義の中心たる企業体が強い力を持つのは自明の理である。
では、次は?
フリーランス全体であろう。とりわけ作家。芸術という資本主義の理論系の中に無いものは消滅する、と考えるべきだ。それは彼らが社会にとって価値なき存在であるから。ではない。ただ、守られていないから。
-
作家がAIに勝つ方法!
しかし私は実際、気づいている。どうすれば作家諸君は、AIの魔の手から逃れることが出来るか?
おしえな〜い。自分で考えて!笑
これはいわば、私の企業秘密なのだ。法人化すれば名実ともに企業秘密となるか。チャップリンが生涯映画の制作方法を秘匿したように。