2023.05.17(残228日)
137日の経過。残り228日。
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小説でありながら映画である——不思議な作品
雪国。誰でも知っている小説であると思う。あまりに有名なその小説は、私をもまた魅了した。
トンネルを抜ければ、そこは雪国であった——このあまりに有名な一文が体現するように、この小説において特筆されるのは、その情景描写の精確さにあると思う。
ひとえに、無駄がない。先の一文とて、句読点含めたった廿字を数えるにほかならないというのに、我々はこの廿字で、情景すべて——主人公の観ている光景、主人公の観ていた光景、そして主人公がこれから観るべき光景、それらをすべて思い起こすことが出来る。
情景に限らない。宿の様子。女の肌。炎。彼の描写は淡白でありながら、鮮明である。視覚的情報のみならず、触覚的情報、嗅覚的情報、温度、光、風、草花、感情すら、我々と一切の対立を見せず、ごく自然に、斥候のように、我々の中に深く染み込んでくる。そして気づけば我々は、その中に在る。
映画である、と私は思った。これを文字という記号によって成してしまうのだから、この小説は恐ろしい。
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余談
二人の女性が主として登場するのであるが、その二者の書き分けがなっていない。そのような批判があるらしい。確かに、人間としての差異は両者にあまり見出されなかった。
思うに、映画的であるがゆえ、人間描写にまで気が回らなかったのではないだろうか。映画——映画に限らず現実世界であれば、人間差異は外形、つまり風貌にくわえ声色や一定の反応によってある程度の部分まで説明なしに表現される。しかし小説であればそうはいかない。あまりに精確であるがゆえ、現実世界において説明不要な要素を小説そのものから省いていたとしても、なんら不思議なことではない。