まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2023.06.03(残211日) nikki

2023.06.03(残211日)

 

 六月、30日のうち3日の経過。残り27日、90.00%。もう?

 一年、365日のうち154日の経過。残り211日。57.81%。

 

  • nikki

 退屈である。日々が退屈。なんとつまらない日々であろうか。何か心躍ることもなく、また涙も拳も血も無い。素晴らしく白い世界である。

 そして同時に、これは已むを得ないことでもある。なぜかというに、そもそも人間は青年期にかけて新規性のある体験の殆どを味わってしまっている。人間最後のフロンティアとして考えられるのはセックスであろうが、それも多くの人間は二十余歳にて到達してしまうのである。そうなったとき、我々の開拓者人生は幕を閉じることとなる。もちろん未だ知られない領域というものも残存するにはするものの、これはまったくの新しい、つまりこれまでに拡張した領土と接していないものではなくて、どこか平面としての繋がりを感じる、既視感の強いものとなってしまう。これをニュー・フロンティアと呼べようか。ならず。このようにして、人間は成熟するとフロンティアを失い、そしてフロンティアなき人生は興奮や恍惚の欠如しているため、基本的に退屈に思えてしまう。

 故に、成人生活が退屈であるのは精神的にもたらされるものではなくて、明らかに普遍的なものであり、これを否定するものは明らかに詐欺師である。

 

 五分も余っているので他に何か書きたいと思う。

 私は基本的に天のせまいところが苦手である。例えば道頓堀は、私の最も嫌悪するところである。ほんの小さな川を狂ったようにまばゆく輝く人工物が覆っている。空など臨むべくもない。こういう土地に居ると、私は狂ってしまう。冗談ではない。狂ってしまうのである。

 故に、都会に長期滞在することが出来ない。少なくとも、ある程度の断続性を担保しなければならない。その手段として最も有効であるのが、旅行である。旅行は、たとえ数日であろうとも空の開けた土地に肉体を移すことが出来る。そこで星でも眺めていれば、都会、つまり空の狭さそのものは一時的に私の内部からも離れる。数日もすれば私は正気を取り戻し、狂気のさなかの私に微笑むことさえ出来る。

 そして都会に戻ればまた狂う。この繰り返し。ただ、生涯狂人のままであるよりは、少なくとも自己自身によって、救われるであろう。もちろん、精神病院にて終える生涯を破棄するものではない。人間やめたいよね。