2023.06.04(残210日)
六月、30日のうち4日の経過。残り26日。86.67%。
一年、365日のうち155日の経過。残り210日。57.53%。
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人間の行動観察と動物のそれとの比較
以前も述べたことであるが、私は人間尊厳、あるいは人間の他種に対する優位性というものを全面的に否定する。
例えば汽車の中で行き交う人々を見るとする。彼らは何か音や動くものに反応して、顔を向ける。あるいは仲間同士、何らかの会話、あるいは何らかの口論に興じている。
次に動物園に行く。きたきつね牧場でも、クマ牧場でも構わない。彼らの行動を観察する。彼らは音や光、あるいは餌に反応して顔を向ける。そして仲間同士、何らかの遊戯や闘争に興じている。
同じだ!
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動物は諸機能を持つ:人間における複雑な思考
同じ。人間と動物において、何ら変わるところはない。
基本的な所作、つまりベーシックなところは共通しているのであり、あくまで諸機能において若干の差異が見られるに他ならない。その諸機能とは人間における高度な思考能力であり、オオカミにおける高度なコミュニケーション能力であり、あるいはコヨーテにおける高度な環境適応能力であるというところに過ぎない。人間はあくまで動物の諸機能、補助機能として高度な思考力を持っているに過ぎず、それは決して人間の優位性、あるいは人間の尊厳といったものを説明するに至らない。
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優位とは相対的なもの:では「優位な種」とは?
しかし滑稽なことに、人間を優越した種であると錯覚する者があまりに多い。それは高度な思考という、人間に与えられた動物としての補助機能を通して世界を見るのでそのように感ぜられるに他ならないのであって、広い範囲——例えば俗説的な「地震予知」といった、人間に知覚できないものをも範疇に含めたもの——において、人間が優位であると考えるのは難しい。ネズミが逃げていくうち、我々は喜々として死を待っているのであるから、少なくともこの点において、ネズミが人間よりも優位であるとすることに疑いを持つ者は無いであろう。
つまり、優位や尊厳というのは相対的なものであって、絶対的なものでない。そして相対的なものである以上、どの種がどの種よりも優越している、などと主張することは難しい。このことから、人間が他種より優位であるなどと考えるのは愚かしい。我々は等しく肉体であり、体液を外に漏らせば死ぬ存在なのだ。
むしろ、我々は自らをも滅ぼしかねない。そんな馬鹿馬鹿しい種のいったいどこに、動物の主たるところがあるのであろうか?
こういうわけで、私はキリスト者を諦めたのであった。