まどどブログ

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2023.06.11(残203日) 悟りとそのサインについて

2023.06.11(残203日)

 

 六月、30日のうち11日の経過。残り19日。63.3%。

 一年、365日のうち152日の経過。残り203日。55.62%。

 

 

  • 悟りとは?

 慈愛の心を持つこと。怒りを捨て去ること。そして、理由なき拒絶を抱かないこと。それが人間において最も要される価値観であるように思われる。言い換えれば、悟りである。赤子のようであるが、その実、赤子こそ人間にとっての悟りなのだ。

 では、それはどのようにして達されるべきであるか?

 

  • 悟りから遠ざかるサイン:理由なき憤怒

 それはわからない。その方法論、つまりそれそのものを実現するには、私の知識も知恵も明らかに不足している。しかし、一つ言えるのは、むしろ反対に、理由なき感情の発現——例えば他者の進言や言動に怒りを覚えているのであるがそれが何故であるかは説明され得ない——つまり、何か動物的な、あるいは自己保全的な感情が心の中で蠢いているようなとき、人間は明らかに先の信念を忘れている。

 先の信念は人間として——少なくとも文明人として——求められるものであり、動物的欲求に支配されているときには決して実現され得ない。もちろん、動物が慈愛を持っていないであるとか、動物は怒りに駆られているであるとか、そのようなことを主張しているのではなく——むしろ主張しているように思えるのであれば赤ん坊に戻ってママのニップルから口離さぬうちに日本語をもう一回教えてもらってほしいのであるが——文明人として求められている、あるいは人間としての悟りという面において、つまり人間に限定された範疇において、先の価値観は求められる。その際に、動物的感情は明らかに排除される、なぜかというに、怒りを抱かないのは明らかに動物としての自然から離れることであるから。このようであるから、動物的感情、理由なき憤怒や拒絶、これを抱いているときには、自身は人間としての悟りから遠ざかっている。いうなれば絶望している。

 これを脳裏に刻んでおくだけでも、悟りは貴方に微笑むやもしれぬ。