2023.06.14(残200日)
六月、30日のうち14日の経過。残り16日。53.3%。
一年、365日のうち155日の経過。残り200日。いよいよ。54.79%。
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悟りとは何か?
悟りとは何か。
悟りとは、言語を排して世界を見ることである。
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人間:言語的動物
『人間は言語によってのみ人間である』と謂われるように、人間は言語を介して世界を見ている。例えば今見ていること、聞いていること、あるいは感じたこと、それらを人間は直感的に判断し得ない。少なくとも、言語なくして何かを意識することは決して有り得ない。人間は言語を介して、世界と接しているのである。
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言語とは記号であり、そして記号は情報の欠落を導く
そして言語は世界を狭める。なぜかというに、言語は記号であり、情報そのものを直接伝えることなど決して出来ないから。例えば私——あるいは貴方がいま見ている景色、作業風景を言語に解釈し、友人に伝えたとする。そして友人にイメージを描かせたところで、写真を見せてみる。決して一致しないであろう。もちろん、写真における情報欠如は発生するものの、多大なる要因として、言語情報における視覚情報の欠如がある。つまり、言語は明らかに情報を制限する。あるいは個体そのものに強く依存する。故に、言語を介して世界を見ることは、そのまま世界を狭めることに繋がる。
では悟りとは何か。言語の排された世界を見ること。つまり、視覚情報や温覚情報など、外界より得られるあらゆる情報、そしてそれによって生ずる感情など内的情報を、言語という機構を通さずして、ありのまま、直接的に受け取る。寒さを「寒い」と言語に再配置するのではなくて、肌に与えられる感触をそのまま受容すること。
さらに単純な例では、クロッキーにおいて言語なしに像を描いている、あのとき。
それが悟りである。
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動物の悟り
そして思うに、この意味において、他種の動物は——恐らく、ではあるが——既に悟っている。なぜかというに、彼らは恐らく言語を持たないので、外界情報を解釈なしに直接受け入れているであろうから。
悟ってないの、人間だけ!w