2023.06.21(残193日)
六月、30日のうち21日の経過。残り9日。30.0%。
一年、365日のうち172日の経過。残り193日。52.88%。
- さやうなら、恥ずべき人生!
おお、恥ずべき人生よ!
私は生まれ落ちてこのかた、一度とて例外なく、死すべき存在であった。私はいま、死すべきである。そして私はいつでも死することが出来る。
非常に単純なことだ。飛び降りるまでもない。あるいは自身の覚悟とやらも必要ではない。完全自殺マニュアルなどもってのほか。あれに頼る者に死ぬ覚悟など無いし、死ぬ気すら無い。
容易いことだ。稚内に飛び、幌延に馳せ、そして深き森の中に消え失せる。たったこれだけで、私は死ぬことが出来る。あの深き森——日本人、大和の民によって唯一教化され得なかった森が、ふわりと魂を拭うから。
しかし私はそうしない。そうしなかった。そう選べなかった。宗谷号より降り立ちて二時間も歩けば、私の命は既に森の中へと消えているというのに。それでも私は選べなかった。私は生きてしまった。私は既に、死すべきであるというのに。
なぜ?
私はなぜ生きている。既に齢も廿三。世の幸せな蒼生と異なり、私は自身の無意味さを既に嗅ぎ取った。蒼生にはそれぞれ生きる意味がある。しかし私には何もない。一つとて——悲観としてでなく実際上確認された事実として——私に生きている意味がない。生の意味なき者に生の必要もない。私は死すべきである。
子も要らない。伴侶も要らない。友すら要らない。睡眠と作品だけが私の求めるところである。それは叶わない。であれば生きている意味もない。死すべきである。であるというのに、なぜ私は死なない?
選ぶべきである。正しき道を。正しき道に無いので、私は狂れているのである。既に私は嗅ぎ取った。であれば、早く。一刻も早く。
これ以上、不幸の増えぬうちに。