まどどブログ

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2023.07.01(残183日) 楽器としてのKeyboardについて

2023.07.01(残183日)

 

 七月、31日のうち1日の経過。残り30日。96.8%。

 一年、365日のうち182日の経過。残り183日。50.14%。折り返すところまで来ている。

 

  • 雑記

 打鍵していて思ったのであるが、パソコンとは楽器である。

 ピアノを思い浮かべてほしい。ピアノとは楽器である。誰も無為に——何の旋律も律動もなく、ただ赴くままに打つものは居ないであろう。少なくとも、ある程度の学習を経た者、つまり現代音楽を専門とするような者でない限り、何の形式もなくピアノを弾くようなのでは、それはピアノではなくて、ただの雑音発生器となることであろう。ピアノは楽譜に沿って、リズミカルに打たれるからこそ、楽器たりうるのである。

 パソコンも同じではないだろうか。もちろん、キーボードは単なる外部入力装置であり、楽器ではないので、リズミカルに、あるいは一定の鼓動を持って、打鍵する必要などどこにもない。が、キーボードを楽器として扱う場合には、事情は異なってくる。それはつまり、執筆である。執筆とはいわば、言葉を如何にリズムよく繋げるか、というところにかかってくる、なぜかというに、学術論文でもない限り、読者にとって最も読みやすい文章というのはある程度決定されており、それは基本的に冗長でもなければ冷徹でもない、温かみのあるものであるから。そして温かみは、人間が音楽によって会話する動物であるように、リズムである。リズムこそ、情報伝達機能から有機的結合としての言葉を産む。それが執筆における肝要である。執筆とは作品を遺す作業であり、作品とは読まれるものである。読まれなければ価値がない。少なくとも、オナンである。

 この意味で、キーボードは楽器となる。

 

 簡潔にいえば、こちらがリズムよく無ければ言葉にリズムが生まれるわけもないので、リズミカルに打鍵しましょう、ということになる。少なくとも、言葉に温かみを付与するには、こちらが温かくなければならない。

 あるいは、精神論に頼っているので、いつまでも名を立たしめないのかもしれない。まあ、気休めとして。