まどどブログ

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2023.08.17(残136日) セックス原理の創作への応用について

2023.08.17(残136日)

 

 八月、31日のうち17日の経過。残り14日。45.2%。

 一年、365日のうち229日の経過。残り136日。37.26%。

 

  • セックスの心地良さ:心の融解

 セックスは何故、心地良いのか。

 それは明らかに肉体的接触に依るものではない。断言しよう。肉体的接触がセックスの心地良さを引き起こすというのであれば、おそらく、温めた蒟蒻と温かい女と、いずれによっても同じような快楽を得られることであろう。肉体的接触が心地良さを呼び覚ますのでは断じて無いのである。

 では、何か?

 心理的接触である。つまり、心理的距離、それが危ういほどにまで接近する、果てには融解してしまう、その心理的交渉が、セックスの心地良さを生んでいるのである。

 恐らく、ヤリモクで何人かと交わったことのある者であれば、これは容易に頷けよう。首肯しない者はヤリモクで今直ぐセックスをしてみると良い。なんの感慨も得られない、ただ生理的反応としての快楽を味わって、それで終わりだから。

 

  • セックスの二次元への応用

 そして天才である私は当然、閃いた。これはキャラクター、つまり絵においても同様である、と。

 面倒なので、簡単に例を示せば、つまり、pixivやX(ex-Twitter)では普通にただ愛らしく、健全な姿で写っているオオカミ獣人が、限定されたコミュニティ——たとえばファンボ——で淫乱メスイキ野郎になっていたら、めっちゃエロくないですか?

 普通では至って健全で愛らしい彼の、普通では見られない露わな姿を拝むために、主体的に活動する。この行為こそ、そもそも心理的にかなり接近を見せているということになり、心の融解、という観点では、セックスと非常に近しい効果が得られるように思うのであるが、さて、どうであろうか?

 なお、風俗と変わりないという指摘については、そもそもキャラクターに対して我々のできる接近とは、自分でそれのキャラクターを描くか、金を払うことによってキャラクターの拝める機会を増やすか、この二択に限られており、多くの非創作者にとって後者を選択する他にないため、多種多様の選択肢が用意されている中で金という資本主義社会における崇拝対象に逃げる現実の風俗とは根本的に性質を異とするものであるから、否定されると考える。もちろん、前者であれば、それは非常にセックスである。