2023.08.28(残125日)
八月、31日のうち28日の経過。残り3日。9.7%。
一年、365日のうち240日の経過。残り125日。34.25%。
- nikki
平壌市営バス、平戸六分菩薩・千里馬線。
理想の自分と現実の自分との乖離が、自己愛を不健全なものと為さしめる——では、現実の私とはいったい、どういう者であるか?
ただの人。多くの人間と同様に、代替可能な存在。取るに足らない、肉の一つ。
これを私は嫌悪してきた。なぜ人間は代替可能な存在に甘んじていられる。私は違う。私は自身を、かけがえのない、生まれてきた価値のある、唯一の人間と為さしめたい。だから私は闘う。私は私を見つけてこそ、初めて私たりえるのである。
私はほんとうに闘ってきたのだろうか?
闘うつもりなんて初めからなかったんじゃないのか?
もう限界なのかもしれない。青春の終わり。童心の終わり。夢の終わり。
わたしの終わり。
わたしはもう疲れた。疲れた人間が大人になる。だからわたしも、大人になるんだろう。
それか、腹を切って死ぬか。でももう、それすらも出来やしない。腹を切るのにも力がいる。その力すら残っていない。わたしはもう、死の稜線を越えた。あれほど畏れ焦がれた死すら儚く思えてしまう。ほど。
疲れてしまった。
ところで疲れというのは幸いなことに、眠れば忘れる。
これも眠れば忘れられる。限界というのは、視野狭窄のもたらす愚かな判断に過ぎないのだから。畢竟、理想と現実とを結びつければ良いのである。確かに、理想を山頂として麓から眺めるのでは良くないが。
私はまだ壊れていない。