2023.10.05(残77日)
な、何もしたくねェ~!!
行動あるのみ。
十月、31日のうち5日の経過。残り26日。83.9%。
一年、365日のうち278日の経過。残り87日。23.84%。
●そこそこいるケモナー
吾輩はケモナーである。
キモ。
確かに気持ち悪いのであろうが、しかし、私は人間そのものを昔から、それこそ物心ついたときから、愛せなかった。厳密には、人間への性愛を抱く前にケモノへの性愛を抱いた。先天的なものを気色悪いとか異常であるとか云われたところで、私にはどうしようもない。それこそ、お稲荷さんや大口の真神を否定するようなものだ。
そしてケモナーというものは存外、多く居るものである。では何故人はケモナーになるのか。それについて今日は述べたい。
●ケモナー前提:男性中心
前提として、ケモナーは男性中心である。男性の占める割合が多い。これはデータとしても――無作為抽出であるかは怪しいので、統計学的に有意な結果であるか否かはわからないが――示されている。まあ、BL界隈に女性が多いようなもので、あまり意味のある傾向ではないのかもしれないが、念のため。
また、同性愛者も多いらしい。
これを踏まえて傾向をみていく。ちなみに、これから述べることは私のあからさまな偏見であるので、あまりムキにならないでほしい。
●ケモナーの四大傾向
ケモナーには大きく分けて、四つの傾向に分類できると思っている。もちろん、一人一つ、ということはなくて、いくつもの傾向を重ねて持っている者も在るが、大傾向としてはこの四つである。
●ケモナー第一傾向:動物への愛
第一の傾向。動物への愛。とてもシンプル。動物があまりに好きすぎて、語らいたい、恋仲になりたい、契りたい、という願いを持っている。人間からの逃避である場合もあり、純然たる愛である場合もあるし、それは人によりけりであるが、とにかく、動物を異常なほど愛している。
この傾向の強い者の特徴として、とにかく絵がかわいい。動物のまま描く者も在るし、獣人にするにしても最大限、動物的側面を残して――たとえば腹もちゃんと毛で覆われている、ちゃんと踵が踵として描かれている、耳の形状や等身が動物に即している――描かれている。動物への愛と敬意を、彼らの絵からは感じる。
もちろん動物ありのままを描いているわけではなく、あくまで「理性」の介在が前提であるので、それを正しく「動物への愛」と呼べるかと云われると難しいところではあるが、ただ、愛ゆえに夢を見ることは誰だって在るだろう。
●ケモナー第二傾向:幼稚性
第二の傾向、幼稚性。精神構造が幼いので、自身の満たされぬ欲求、自己愛、こういったものを動物に仮託して、あるいは動物という仮面を被って発散させる。同性愛者に多いのはこの傾向だろう。精神的未発達である。
この手のタイプの人間は、恐ろしいほど自己顕示欲が強い。満たされていないのを露呈させているのであるから無理はない。たとえば、絵のアカウントでもしつこく性的なアピールを続ける。相手に対して性的発言を積極的に行う。自身の上裸を掲載する。哀れが過ぎる。満たされない人間は他者による承認を求める。しかし他者は自身ではない。その乾きはいつまで経っても乾いたままである。
●ケモナー第三傾向:必然性
これまででケモナーの95%は説明されたのであるが、若干の例外もまた存在する。それが以下の二つ。
第三の傾向、必然性。ケモノでなければならない確固たる理念を持つ。
商業作品にはこれが多い。BEASTARS。ハクメイとミコチ。メイドインアビス。火の鳥。これらのケモノはみな、ケモノでなければならない必然性を持つ。『BEASTARS』や『ハクメイとミコチ』ではそもそも作品の根底であるし、『メイドインアビス』や『火の鳥』では作品の異質さを強化している。必然的にケモノを描いているのであって、そこに不自然さはない。いくら根底に度し難い欲望が渦巻いていたとしても、それを昇華させてしまう。
言い換えれば、プロ。
ちなみに、必然性の付与という点では、ファンタジーにおいてケモノを用いるのが便利であろう。
●ケモナー第四傾向:不明
このどれにも当てはまらないのが在る。
第四の傾向。不明。稀に意図の見えないままケモノを描いている者がある。動物を愛しているというわけでもないし、幼稚でもないし、ケモノである必然性もない。しかもケモノを描いていると思えば、いつの間にか人間も描いている。ケモノを異様に愛しているわけでもないが、かといって拘りがないわけでもない。ただ流れるように、彼は人間とケモノとの間を行き来する。
怖い。何が目的なのか。どこへ向かうのか。どこから来たのか?
古代の宗教画としてケモノを見ているのだろうか。
●創作への活かし方
ケモナーには、動物への愛、幼稚性、必然性、不明、の四傾向があると述べた。
このうち幼稚性は最悪であるし、不明であると方向性が定まらないので、動物への愛をベースに、必然性を肉付けしていく、のが創作においては有効であろう。
もちろん、行動する者が行動しない者より無条件に何百倍もえらい、というのは言うまでもない。仮に幼稚であろうとも、賢者ぶって無為に過ごす者より、ずっと素晴らしいのである。忘れるな。