まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2024.01.13(残353日) 人間をやめた日

2024.01.13(残353日)

 

 一月、31日のうち13日の経過。残り18日。58.1%。

 一年、366日のうち13日の経過。残り353日。96.71%。

 

●アイディアは向こうから……?

 ある脚本術の本に、このような記載があった。

 アイディアは掴むものではなくて、向こうからやってくるもの。

 これを私はようやく体得したように思う。創作というのは、人間をやめることなのかもしれない。

 

●人間をやめる、ということ

 創作というのはつまり、人間を離れることである。作詞にせよ作曲にせよ歌唱にせよ、漫画にせよ書籍にせよ絵画にせよ、その一場面において、彼は一人の人間という実体を超えている。漫画において彼は世界そのものを俯瞰するような神であるし、歌唱において彼は肉体そのものが――喉に限らず感情さえも――歌のための楽器である。絵を前にしても、詩を前にしても、彼は既に人間ではない。等身大の人間――それからは必ず離れて、彼は創作を成している。

 なぜ歌手がドラッグに走るのか。なぜ演者が共演者と結婚するのか。彼が既に彼自身から去っているから。創作者は既に肉体を捨てている。一つの「彼」――それを破って、彼は在る。

 故にアイディアは向こうからやってくるのである。それは、彼がアイディアの中に在るから。脚本家ならば、彼は既に彼ではなくて、創作世界の中の気であり水であり神であるのであるから、アイディアは自然無意識のうちに見出される。彼が彼のままならば探し出さなければならないが、彼そのものが既に世界なのである。

 

 女王蜂のTHE FIRST TAKEを観て、AURORAの楽曲を聴き続けて、私はこれを悟るに至った。

 

●確かにオオカミである私

 逆説的に、創作というのは、少なくとも私に限って、人間ではいけないのである。

 一人のサラリーマン。通勤者の一人。群れの中の、埋没した一人。親の子。人間。人間。人間。

 それではいけない。私は人間でいてはならない。オオカミでなければならない。消防車のサイレンを聞いて遠吠えしかける――それほど、私はオオカミでなければならない。

 私は既に人間ではない。それを忘れるな。